メモリという比喩

ここまで書いて思い出したことがあるんだけど、要するにこれって、柏端達也さんが『行為と出来事の存在論asin:4326101172で書いていた「メモリを大量に必要とする」(まえがき)ってことなんじゃないだろうか。さらに思い出してみれば前述の内田樹さんは知的肺活量みたいなことをどこかで書いてたような気がするし、東浩紀さんもアプリケーションを複数立ち上げるような思考(要するにこれも「メモリを食う」ことの比喩ではありますよね)みたいなことをどこか(たしか旧版『郵便的不安たち』の中で)で書いてたと思う。まあラカンには極悪レトリック読解というオプションがついてはいるけれど、やっぱり現代哲学ってのは単純に難しい(要するに小手先だけでなく、経験をつんでレベルアップしろっていう)ことなんだといまさらながら気がつく。