眠りについて

眠ることに対する哲学的考察がないのは何故か。従来の考察は夢、不眠、そのようなもので代替しているに過ぎないのではないか。デカルトは夢が欺きの感覚を与えることを指摘したが、まだこのように暗に「眠りは理性的ではない」と主張するほうがましのように…

船頭多くして船が山に登っちゃったらそれはそれで面白い、という話。

「藤村くんねぇ やっぱりねぇ こんなテレビ見たことないぞ」 〜『水曜どうでしょう』2011年最新作 第五夜より〜 というわけで、『水曜どうでしょう』を観ているのだが、確かにこの番組は他の番組にはない*1面白さがあるように思う。では、その面白さは一体ど…

ロック続き

前回書いたときは、友人の言葉に引きずられているところがあった。それは「自然に真理が内在していること」は大きな変化ではあるが、決して断絶的にロックは書いていないということだ。正確には、断絶的に認識論的には転回したが、彼は神学的な序論を書くこ…

自然法と実定法(国家制度)

某友人が書いたブログ記事の一節より。それによれば、 自然に真理が内在すると考えるということは、認識論的にはかなり大きな変化を意味している。 ということらしいけど、大事なこととして、自然固有権(プロパティ)概念を創出した人物と、おそらくは結構…

断片2

自らが死ぬことから目を背けることで成り立つ、とする生への考え方に対する、生き急ぎとしての死、あくまで(死を忘れている、忘れさせるはずの)生に内在する死という考え方。前者は結局のところ死を無限遠点的なものとして、より徹底して死を忘れる仕方に…

メモリという比喩

ここまで書いて思い出したことがあるんだけど、要するにこれって、柏端達也さんが『行為と出来事の存在論』asin:4326101172で書いていた「メモリを大量に必要とする」(まえがき)ってことなんじゃないだろうか。さらに思い出してみれば前述の内田樹さんは知…

断片

シュッツによれば、現実は(宗教的、科学的、芸術的、…)多元的であり、その多元的な現実の中で至高の現実であるのが日常生活の世界である、とされる。確かに、日常世界において意味を持たなければ(普段の生活とつながっていなければ)どのような世界も(そ…

レヴィナスの考え方(『全体性と無限』を読んで)

レヴィナスの理論ではアノミー形殺人(日本でいうところの「死刑になりたかったから殺人」)を批判することができないように思われる。これは「顔を見ない」のではなく、顔を見ることが意味をなさないところにその問題がある。では、どうすればよいのか。 2…

しかし

僕はものわかりが悪い。賭けという形式では考えていなかったが、時間と様相がどうも関係あるのではないか(その意味でフッサールの『経験と判断』はもうちょっともの足りなく感じた)、とか考えてたら前に教えてもらった九鬼の文章にまさにそういうことが書…

美学的、倫理的。

かっこいいという言葉について。 美学的な価値を持つと同時に倫理的な意味も持つ。 「〜がかっこいい」というと倫理的な意味が先走りやすくなる。 むしろ倫理が美学の名の下に押し付けられてしまう。 あくまで美学的な価値を忘れてはいけない。 九鬼の「いき…

モッシュのその後

id:kyudouさんがモッシュについて、とてもよい文章を書いている(といっても僕はモッシュをこの文章で初めて知ったわけだけれど)。そういえば最近印象的だったのがめざましテレビでチャットモンチーが早稲田かどっかでライブをした際に殺到するファンがいて…

記号学会

行ってきました(3週間前だけど)。ただ、1日目は見てないのでなんとも言える立場にありません。駆け足でコメントのみ。 佐古仁志「生態心理学の新たな基礎付けに向けて―ジェイムズからパースへ」 発表後原稿をもらう(ありがとうございました)。内容はア…

哲学はなんの役に立つのか、あるいは締め切りに間に合わなかった話

もう一つ友人から聞いた話より。僕の友人は研究者の卵であり(というか卵率相当高い)、奨学生(といっていいのかな?)としてがんばっているわけだけれども(この奨学生率も高い。みんな優秀(過ぎ)だと思うと同時に、自分が就職したのはある意味間違いな…

sens

以上、記憶と意識の徒然なるままに出来事を記したが、ここからはその会話の中で印象に残ったことを。 友人たちの中で何回か出た話として、デカルトの「良識」があった。デカルトによれば良識は誰しもが「十分に具わっていると思って」おり、「自分が今もって…

桜について

この時期(といってももうだいぶ過ぎたかもしれないけど)桜の木の下を通るのが楽しい(死体が埋まってたとしてもそれはそれでかまわない、と思わせる)。今年(この歳になって)気づいたことだが、ようやく僕にもつぼみとか五分咲きとか、そういったものが…

完パケ力

最近出ているエドはるみさんについて。笑えるのか、と言われると答えに窮してしまうところがあるのも事実なのだが、安心してみていられるのもまた事実だと思う。1ネタ1ネタを完全に仕上げてきているところがそうなのだと思う。しかしそれは完成度ではない…

メルロ=ポンティ(関連)を読みながら運転するとこうなる

車同士をすれ違わせたり狭い道路を通るときは意外にサイドミラーを見ない(ちゃんと見るけど)。なんか感覚が車体に延びている。物体の本性が延長、とかいう哲学の基本がようやくわかる。

メルロ=ポンティを読みながら食べるとこうなる

昼食をとりながら思ったこと。 この食べ物の見た目を僕は押し付けられているんだと思う。そのときは豚肉の生姜焼きだったけど、その肉と脂身の割合(体脂肪率!でも赤身多くて美味しかった)、喫茶店の主人が味付けしたその味付け、そういう見た目を食べ物は…

ヘーゲルと論理学の関係メモ

ヘーゲル『精神現象学』をちまちまと読む。ヘーゲルの書き方はある意味とても雑で、きちんと腑分けしていれば(同じ言葉を何度も使うようなことをしなければ)いいのにと思うことが何度もある。この書き方で矛盾とか止揚とか書かれてもあまり説得力がないよ…

太宰と吉本の会話より

ちょっと有名なエピソードである、男の本質は優しさ、マザーシップだという話。最近ちょっと思い出すことがあって、同時に次のような疑問も当然出てきたわけで。「じゃ、女の本質って何よ?」直観オンリーで結論を出してしまうなら、それはホスピタリティ(…

レスポンス可能性=責任

昔の記事にコメントがついていた。こういうのは自分で考えるよい機会だったりするのでいろいろ付け加えてみる(今ちょっと考えてみたらが批判とか同意とか、そういうはっきりした対話ではなく、かなりだらだらした感想になったので)(元校正の血が騒ぐが、…

覚え書き

考えていることがあるので、それが文章になるとしたらという仮定の下、その一部になるだろう文章を書いてみる。オン書きというやつなので注意。 そもそも今までの事例を無意識と読んでいいものかどうかという疑問は常にある。例えばサールは『MiND』で無意識…

友人との会話

前連休中に友人と会い話をする(もうおめでとうございます、って書いてもいいのかな?)。専門的な話もすればそうでない(けれども、結構大事な)話もできるところはさすがだと思った。ただ、話をすすめてわかったのはどうもテキスト平等主義的というか、言…

カント『判断力批判』が読み終わらない。読んでないのだから当たり前、といえばそれまでなのだが、難しい。「天才の語調からは程遠い」「学校的方法」を『純粋理性批判』から採用して以来(カッシーラーの本からの孫引き)、その文体にいい加減飽きが来た。…

さすがにバレた

コメント欄が膨大になっているこの記事、コメント欄のとおり元ネタとしてid:kuboakinoriさんからついにツッコミがとんできた。まああれだけさわいでたらばれるよな。 で、さすがと思うのが 抜粋の意図としては、精神病治療において「治る」ということが二人…

三つの事情とともに精神分析を理(/誤)解する

新宮一成『ラカンの精神分析』、講談社現代新書、1995。 僕はラカンがいまいちよくわからない。正確に言うと、ラカンの解説ですら(一般にわかりやすいといわれる本書、あるいは内田樹さんや東浩紀さんの本での説明ですら)わかったという実感、腑に落ちると…

退却戦を戦い抜く

これはもう一人とメッセンジャーで話したことがもと。 上記のid: kuboakinoriさんと話したときも思ったけど、みんながどんどん偉くなっているなと、まるで『できるかな』(および『できるかなリターンズ』)の新保(信長)さんみたいなことを思う。今回話し…

思いつきの酒飲み話(ニーチェの師リッチュルによる『悲劇の誕生』評)

時々話題にもして、コメントもくれる大学時代の先輩(はてなで書いてるし、id: kuboakinoriさんとしておこう)とメッセンジャーで話したときのこと。その中の話にインスパイアされて考えたことを二点ほど書き記しておこうと思う(表題は本人がメッセンジャー…

意識の流れと時の流れ

意識の流れと時の流れは違う。意識は反復するからだ。時は反復しない。時の流れに意識の流れは引きずられるが、一方でそれに抗うかのように反復する。意識が反復することを的確に見積もることが必要だ。

カントの生命論的展開?

以前買った二冊の本を読み直す。 現代思想2006年7月号 特集=幾何学の思考(所収の論文) 生きていることの科学 生命・意識のマテリアル (講談社現代新書) 前者の論文ではカント―フッサールのラインでは若干カントよりになりながらもそこから違うものを取り出…