眠りについて

眠ることに対する哲学的考察がないのは何故か。従来の考察は夢、不眠、そのようなもので代替しているに過ぎないのではないか。デカルトは夢が欺きの感覚を与えることを指摘したが、まだこのように暗に「眠りは理性的ではない」と主張するほうがましのようにも思える。眠っている間通常の意味で理性を働かせていないのは確かであるからだ。フロイトが夢の意義を主張したところから夢は理性、(無)意識の側に立ちつつある。考えない行為としての眠りを考える、難しいことかもしれないが、逆に考えないことの意義を考えるのであれば、眠りについて考えることは必要なのではないか。