船頭多くして船が山に登っちゃったらそれはそれで面白い、という話。

「藤村くんねぇ やっぱりねぇ こんなテレビ見たことないぞ」
〜『水曜どうでしょう』2011年最新作 第五夜より〜

というわけで、『水曜どうでしょう』を観ているのだが、確かにこの番組は他の番組にはない*1面白さがあるように思う。では、その面白さは一体どこにあるのか。今回は一私見を記しておくことにする。

番組の企画として見た場合、『水曜どうでしょう』のようにタレントが多分に運任せの旅を行う、というものはそう珍しいものではない。『電波少年』から『クワンガクッ』、『ノブナガ』など、さまざまな番組で同種の企画は行われていたし、またそれぞれが一定の人気を博したことは間違いない*2。そこではタレントが最低限のスタッフ(ディレクター、カメラマン)と一緒に旅をする、そのパーティー構成もほとんど変わらない。ただ、『水曜どうでしょう』の場合、出演者の一人である鈴井貴之さんが、番組の企画及び出演者の事務所社長である。他の番組では出演者は出演者としての役割しかないことがほとんどであるのに対し、企画やスケジュール調整の鍵を握る人物が出演者としているということは、裏方としてのスタッフが出演もこなしていることでもある。まずは、ここが他の番組との違いであるだろう。ただ、企画者と出演者が同一というだけなら、またこれもそれほど珍しい特徴ではない。ここで、もう一つの特徴である、ディレクターである藤村忠寿さん*3が、相当の割合で映像内の会話に入ってきていることが生きてくることになる。特に中期以降、「映像的にはミスター(=鈴井さん)と大泉さん」「音声(トーク)的には藤村さんと大泉さん」という図式がかなり前面に押し出されてきており*4、ここが『水曜どうでしょう』の特色といえ、ここに面白さの一因があるものと考える。

では、なぜこの図式が面白さを生み出すのか。それは、(1)同種の企画でもあった出演者/裏方という図式が可感覚化されたこと、および(2)その図式が『水曜どうでしょう』ではいわば重層化されていることにあるのではないか。

従来の裏方は出演者ではないことから、その存在はカメラの前からはできるだけなくしていく方向にあった*5。それが、『水曜どうでしょう』では企画者(=鈴井さん)が「しゃべらない出演者」となることで、裏方的なポジションを「見せる」ことに成功した(=可視化)。同時に、藤村さんがトークに入ってくることで「しゃべる裏方」、こちらは裏方的なポジションを「聴かせる」ことに成功した(=可聴化)。先に僕が「可感覚化」と書かなければいけなかったのはこれらの事態を指す。そして、それぞれが裏方として出演者を演出する役割を引き受けている、このことが、同じく先に書いた「図式の重層化」である。

では、この重層化された「どうでしょう図式」は、番組でどう生かされているのだろうか。一つには、唯一「出演者」のみの役割を与えられた大泉洋さんに対してのものだろう。最初の企画である「サイコロの旅1」から、彼だけが企画の内容を知らされないという役割を与えられているのはまさに出演者(=裏方ではない)であり、結果視聴者としての僕たちは「理不尽なルールに振り回される大泉洋という出演者」を見ること(そして笑うこと)ができる。しかしこれが旅の途中になると、大泉さんは企画(兼所属事務所の社長)である鈴井さんの言うことも聞き、かつ番組のディレクターである藤村さんの言うことも聞かなければいけないことになるのだ*6。つまり大泉さんは出演者の持つ「企画を進行させなければいけない」受身の立場を2倍演じなければいけないことになる。これが他の番組と違う、会話や企画進行のテンポの速さを生んでいるのではないか*7

第二点は出演している企画者としての役割を与えられた鈴井さん、藤村さんに対してのものである。上述したように、出演者である大泉さんは徹底した受身の役割を背負わされており、結果、企画の段階で何かをしようとするときはこの2人が企画を始めなければいけないようになってしまった。その最たる例が「対決列島」であろう。ここでは出演者である大泉さんはむしろ進行に徹さざるを得ず、実質的な主役はディレクターであるはず(!)の藤村さんと企画を決められるはずの(!!)鈴井さんであり、2人の対決が企画のメインとなっている(そしてこの企画の一部は最新作にも生かされることになる)。また、可感覚化された2人にはもう一つ、「失敗がさらされる」という役割がついてまわることになる。従来の裏方は出演しない、出演しないということは視聴者側には彼らの失敗もまた視聴することができない、ということである。これに対し、『水曜どうでしょう』では、鈴井さんは視覚的な、藤村さんは言動的なという限定があるにせよ、失敗した場合、それが放送されてしまうことになる。まず、それだけでも面白い。言って見れば企画を演出している2人(のどちらか)が失敗した場合、それにより、番組の進行そのものを笑うことができる。また、片方の失敗にもう片方(と大泉さん)がツッコミを入れることで、その面白さは倍加することになる*8

以上、簡単ではあるが『水曜どうでしょう』の面白さを僕なりに考えてみた。しかしながら、これは少なくともこの番組の面白さの一側面を表わすものでしかなく、何より4人のチームワーク、信頼がその面白さの大前提にあるように思う。だから、最新作を作り終えた4人に言うことではないのかもしれないが、あの独特の雰囲気を再度新しく(というと変な表現だが)味わうため、また、旅に出てほしい。一ファンの痛切な願いとともに、この文章を締めようと思う。トコトン(←腹太鼓)。

*1:ただし、これを「新しい」と評することには慎重でなければいけない。『Quick Japan』の嬉野雅道さんへのインタビューや鈴井貴之さんの『ダメダメ人間』にあるように、時代々々で変わらないことをやっているだけ(=だから、古くはならない)かもしれないのだ。

*2:今でも『世界の果てまでイッテQ』みたいなのが出ている

*3:時には嬉野雅道さん

*4:鈴井さんがあまりしゃべらなくなってきたこともある。

*5:その起源はどこか、といえば『電波少年』の土屋プロデューサーにあったのではないか。彼は顔を見せず、必要最低限の企画説明のみを行う役回りとしての出演をしていた。このテレビとしての演出が、逆に裏方の存在は隠さなければいけない方向に演出を向かわせたのではないか

*6:代表的なものとして「アメリカ横断」編のホットスプリング事件を挙げておく。

*7:もちろん、これは番組が進むごとに発揮された大泉さんの抜群の切り返し力がなければ必要不可欠であったことも付け加えておこう。その意味で大泉さんを「大抜擢」(『水曜どうでしょうclassic』第一回放送)したスタッフは正しかったことになる

*8:『サイコロの旅1』で既にされているディレクターの船酔いや鼻血に対するツッコミ、『アメリカ横断』の有名なインキー事件を参照。