『西田幾多郎の生命哲学』ISBN:4061497723

副題はベルクソンドゥルーズと響きあう思考なんだけれど、本文中に「ベルクソン=ドゥルーズ」と書かれているように、ちょっとドゥルーズよりかなと思った。本文中にはでていないけれど、ドゥルーズと響きあっていると思われる箇所を二箇所ほどメモしておこうと思う。

  1. ライプニッツの影

「絶対矛盾的自己同一」(正確には本書中の田辺元による批判の後くらい)において個物と個物を論じている場面、これはドゥルーズが『襞 ライプニッツバロックISBN:430924209Xを論じている場面と平行して論じられないだろうか。もっとも、西田幾多郎の場合、下村寅太郎が書いた『ライプニッツ』がかなり大きな影響を与えているみたいだけれど。

  1. 晩年宗教論の不在

『道徳と宗教の二源泉』ISBN:4121600606(前編)ISBN:4121600614(後編)がドゥルーズではあまり論じられることが少なく(これは本書著者の『ベルクソンの哲学』ISBN:4326153466ベルクソンISBN:4140093080なんだけど)、同時に、それはもちろん生命哲学に関する論述である以上しょうがないかもしれないし、本文で触れていないといえば嘘になるけれど、「場所的論理と宗教的世界観」(『西田幾多郎哲学論集3』ISBN:4003312465)がこの本では取り上げられていない。

だからどうだ、っていうわけではないんだけれど。個人的にはやっぱりリミックスに必然的に含まれるノイズ、つまりは西田幾多郎の哲学を生命哲学として論じることにともなう(著者自身、それをある意味一面的だと認めているんだけれど)著者自身の声が面白い。