樫村愛子『ラカン派社会学入門』、asin:4906388698。

 77ページ。関連性理論(本文中ではレリヴァンス理論)はまったくの無意識的(無意図的)発言に対しては無力だということに関して。
 大筋ではそのとおりだと思う。しかし、コミュニケーションとしての関連性理論を考えた場合、わざとらしい言葉使いに無意識の意図性を考慮することはできるのではないか(フロイトの『否定』)。また、フロイトは『夢判断』の中で、否定が通常の形式論理では命題にはならない(〜、¬)として表されるのに対し、夢(=願望)の中では、あたかもそれが一つの命題として意味を持つように扱われることを示唆している。無意識と意識の齟齬により、中途半端な、〜、¬(無意識下で主張される「命題」)として発言されてしまうというところまで、関連性理論を拡大することはできないのだろうか。
 もう少し考える。言葉としては存在しうるのに、なぜわざわざ持って回った言い方をする(と精神分析は考える)のか。それはあなたがいるからではないのか。しかしあなたがいないところでは言葉はその存在意義を失うだろう。あなた(がいる世界、しかしこの世界はとことん背景に退く)がいる、ということの「関連性」、という考え方ができないものだろうか。