覚え書き

考えていることがあるので、それが文章になるとしたらという仮定の下、その一部になるだろう文章を書いてみる。オン書きというやつなので注意。

そもそも今までの事例を無意識と読んでいいものかどうかという疑問は常にある。例えばサールは『MiND』で無意識が引き起こす事例について分析し、それを全てフロイトの言うところの前意識として処理すること、あるいは無意味なものとして処分することを提案している。(注:このように徹底的に"dry"な考え方もあるにはあるのだが、彼が"dry"、フランス語で言うところの"sec"を批判し、その批判者から"dry"ではない、しかもまさに精神分析的な反批判を被っているところを考えればあまり"dry"に過ぎる処理には少し立ち止まりを覚えてしまう。『有限責任会社』および『存在論的、郵便的』第四章、特にp289の脚注を参照のこと。)