さすがにバレた

コメント欄が膨大になっているこの記事、コメント欄のとおり元ネタとしてid:kuboakinoriさんからついにツッコミがとんできた。まああれだけさわいでたらばれるよな。
で、さすがと思うのが

抜粋の意図としては、精神病治療において「治る」ということが二人称的知から三人称的知への移行であるという理解は、なんか(現象学的?)社会学ぽくて(要は、治る=社会化される、になってるようにみえるが)、本当にそんなこといいたいのかお前?>wills君、ということでしょうか。

「治る」ことに関しての僕の記述はたしかに駆け足になっているので自分でもそうだよな、と思う。そういう意味で僕のほうが投げっぱなしなわけで。

さらに、

というか、むしろ、二人称の知から三人称の知への移行を社会化のように把握することで、逆に二人称の知を神秘化して賞賛するような言い回しは、もう飽きたよ、ってことなんですが。

というのも僕のスタイルというか書き方が持つものの弱点みたいなのがあからさまになってて、痛いところをつかれている。おそらくは「治る」ということの意味、あるいは自分の書き方(「言い回し」)のどちらか(あるいは連動する形で両方)を考え直す必要があると思うんだけど、どれも難しすぎるのでどこから手をつければよいのやら。読めといわれたカントに逃げてしまいそう。