5年たってる

ふとつけたテレビで一青窈さんが出てた(ふと、って書いたけどこれ絶対『ガキ』見ようとしてたからだわ)。もらい泣きのロックバージョンをライブでやっていた。で、またふっとよぎったのは君ではなく、これまでの記事。意図的な句読点がうたれている歌詞、もらい泣きという二人称性(歌詞にも出てる「ふたりぼっち」)。「言葉にすればするほど意味がな」くなってしまうということ。そこには泣く顔に反応する泣き顔しかないということ。前書いたものとかひっぱりだしてみるとレヴィナスとかバタイユとかで考えている一方でセミオシスについても触れている。もしかしたら出発点、ベースキャンプ地点になるのかもしれない。気になったのでメモ。