読了

カント『実践理性批判』。カントの本を読んでいると浩然の気が養われる感じがする。目の前のことを、それも近視眼的に見て(あわててしまって)いたときに、ちょっと気が楽になったことがあったが、そういう力がカントの本にはあると思う(追記。『純粋理性批判』においても「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である。」という言葉があるけれど、これなんかも「学んで思わざれば則ち罔し、思うて学ばざれば則ち殆し」という孔子の言葉と(慎重に批判検討の元でだけれども)相通ずるものがあると思う)。ゲーテやシラーがカントに魅かれるのはある意味よくわかる。
また、そういった力の源泉はカントの形而上学的論点にあると思う。実践理性批判純粋理性批判と似たような体裁の元論述が進められているが、論ずる中身としては神や不死、何より自由など純粋理性批判のときよりは形而上学的論点であることに注意しなければならないし、そこから逆に考えた場合、ヒュームの忠告を一方では真に受けつつも巧妙に形而上学的な論点でもある(例えば「物自体」)ものをしっかりと持ち込んでいることが今さらながら気がついた(その二面性的な性格。前に郡司さんの本とかで気づいていたのに)。ちょっと意地悪にいえばここから哲学と科学の問題がごっちゃにされた、とも言えるのだけれど(逆に問題が違うゆえに不可分なのかもしれないけれど)。