いろいろ思う

春だからか、いろいろ変なことを思いつく。
1.三原則
大学時代の先輩がロボットについての修論を書いているので読む。その中でアイザック・アシモフによって作られた有名なロボット三原則がある。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条:ロボットは前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。

実際、鉄腕アトムなんかでも読んだ覚えがあるので、ロボット(SF)業界では有名なのだろう。これが1940年くらいからアシモフの小説に出てきているのだそうだ。

で、問題はここから約30年後の映画の世界へと移動する。ロメロが別の生物(?)であるゾンビの三原則を打ち出すのだ。『ナイト・オブ・リビングデッド』によって。

第一条:生きる屍として、人を襲う。知性はないに等しい。
第二条:襲われた人は死ぬと同じ生きた屍になる。
第三条:一度死んでいるため大抵の攻撃に耐えるが、頭をつぶすと動きは止まる。

アシモフの小説が知性を持つがゆえに三原則がフレーム問題化するのに対し、ゾンビについては基本的にこのラインがいやらしいほど守られる。キョンシーだってお札はおでこ(=頭)に貼るし。だが、原則が原則たることで、物語としては全部同じになるのに、なぜか面白かったりする。親しい人がゾンビ化する話は定番だし、その中でどうなるかという問題は常にあるし、第三条に特化した娯楽映画への末路は大体の人が知っている。

『MiND』で読んだ哲学的ゾンビは知性を持ってるので何か違うし、『ステーシー』ほどやられるとまたこれもどうかと思うけど、ゾンビで先輩の方法論を使った論文とかあったら読みたいなと思う。

SIREN2やHOD4でいささかヘッドショットしすぎて疲れているのかもしれない。
(あと、この2作品に普段使われないヘッドショットという言葉が両作品の攻略サイトなどで普通に使われているのは、やっぱり僕と同じような人がいるからなのか?)

2.言語分析
菊地成孔さんのサイトがリニューアルされた(たぶんキーワードからリンクたどればいけるからここにはリンクを貼りません)。そのなかの速報で書いてあったUAさんが別れのときに使う挨拶、「それでは、いねさらします」がどういう意味なのかと書いていたのでちょっと考えてみた(ちなみに僕は中四国出身+大学時代大阪在住)。

「いねさらします」はいね+さらし+ますに分解可。「ます」は丁寧語なので(結構後に重要なニュアンスを持つのだが)とりあえず他の二語を。

「いね」。これはその場からいなくなる(家に帰ることを多分に含んだニュアンスで)というくらいの動詞かと思われる。基本形は「いぬ」で、たぶん五段活用可。「いね」は命令形か?

「さらし」。「さらす」により「〜している」という現在進行形をあらわす言葉。この「さらす」で大事なことは二点。ひとつは、「〜している」という現在進行形の言葉はこのあたりでは挨拶になりうるということ。僕の出身地では「なにしよん?」と声をかけるのが普通だったし(高校時代の留学生が帰国前に挨拶をしたとき、「印象に残った言葉は「なにしよん」です」って言ったし。本当に。向こうからすればHow are you?が挨拶なのに、直訳したらWhat are you doing?が挨拶だったんだから変に思うだろう)、香川出身のウッチャンナンチャンのナンチャンが書いているコラムの題名は「何がでっきょんな?」という、こちらも現在進行形の言葉を使った挨拶だったし。ふたつめは、普通「〜さらす」という言葉は他人へ、あんまりいい関係じゃない人に使う言葉であるということだ。例えば「なにさらしとんねん」とか「ざまあみさらせ」とか、相手を悪く思うときに使う言葉であるということだ。

つまり、UAさんは現在進行形的なところで「挨拶」のニュアンスを出していることになるが、では相手を悪く言うときに使う言葉であることと両立は可能なのかという話になる。ここで大事になるのは「さらす」主語がUAさん自身であることにある。つまり自分を悪くいわれる方におくことで相手の立場を相対的にあげることになる。そう、これは謙譲表現なのだ。

「いね」がなぜ命令形かと推測したかというと、普通いぬ+さらすを相手に向かって言うことになると「いにさらせ」となる。「連言+命令形」になるわけだ。しかしここで活用を「命令+連言」(=「いねさらし」)にすることでUAさん自身が命令「される」立場であることも暗に含ませることが出来、ますます謙譲表現の度合いは高まる。しかも最後に「ます」。もうどこまでへりくだるのよという表現なのだ。もちろんへりくだるという言い方がまずければ相手を思いやっているでもいいわけで(実際菊地さんは「楽しみにしている」わけだから)、謙譲を重ねるという言い方がまずければ命令+放置というマゾヒスティックな言い回しと言ってもいいわけだ。

とまああくまで文法的に(といっても僕は国語学者じゃないので推測の域を出ないのだが)分析してみました、という話。『ユリイカ』の特集号を傍らに置きつつ書いてみた。