『MiND』ISBN:4255003254、読み終わる

心の哲学がどういうものかということについて、わかりやすく書かれていて読みやすかった。著者であるサールという人についていろいろな批判があるということについては知っていたが(デリダとか)、実際にどういう考えを持っているのかということについては今回初めて知った。この本のポイントは僕の読む限り2つあるように思う。

1.心の哲学の見取り図
デカルト、ヒュームといった昔の哲学者から始まって、言語哲学を経た結果の心の哲学といった流れがまとめられている。著者自身、言語行為論から心の哲学へ重心を移して来た人だということもあって、特に言語哲学からの展開はとても勉強になる。クリプキの固定指示子やパトナムの双子地球の考え方は一応知っていたが(冨田恭彦アメリカ哲学の最前線』より)、それがどう心の哲学に結びついてくるのかということまで書かれてあったことはなるほどと思った。また、この二人に限らず英米哲学はとっぴな例を持ち出すことが多く、理解しないうちからその例に惑わされることも多かったんだけど(グルーとかブリーンとか)、その例がどうして出されるのかということについても書いてくれているのがありがたい(そのため、それに対するサールの反論もわかりやすくなっている)。哲学的ゾンビの話など。教科書として使えると思う。

2.生物学的自然主義
もちろん、単なる教科書であることが哲学にとっては教科書の条件を満たさないということをサールはよく理解しているように思う。つまり、著者が一貫した考えの下に教科書的な知識を編集する必要があるということだ。
サールが主張する立場とは「生物学的自然主義」であり、これにより従来の理論である唯物論と二元論を退けようとする。
サールの立場で面白いのは生物学(神経生物学)と心の関係について因果論的にはつながっているが、存在論的にはつながっていないと考えているところだと思う。つまり、神経生物学的にはAである「から」心の状態はBであるということはできるが、神経生物学的A状態は心の状態B「である」とはならないとサールは主張しているように思われる。
これは精神医学と心理学のそれぞれに対応が出来ることだと思う。ある一つの心の病に関して「因果論的に」直す(薬による生物学的治療)と「存在論的」に直す(カウンセリングを通した一人称の分析、治療)ことが大切であるように。具体的にはやられていることではあるんだけど、それをはっきり書いたという点でこのことは大事なことだと思う。また、これをもう少し拡張して三人称的世界と一人称的世界と考えた場合に社会哲学的な展望が開かれるだろうことは予想できるし、また訳者解説においてその分野でもサールが出てきていること(および日本においてその批判検討が始まっていること)はよくわかる話である。
が、このときに一つ問題になるのは世界の存在論であろう、とも思う。例えばサールは最終章で複数世界論を否定している(そのため、先述の三人称的世界なんて言葉遣いはサールとしては間違いだろう)。ただ、三人称的に記述できる体系、一人称的に記述できる体系、それを世界とみなしてはいけないのかどうかということについては難しい問題であると思う。それを考えてみた場合、僕としてはむしろサールのいいところはどのように一人称的体系と三人称的体系が結びついているか、その結びつき方を説明したところにそのよさがあるのだとつい考えてしまう。