レジュメも作る

はしがきと一(pp.177-179)のみ。一応(←)は自分の独り言です。

はしがき
これまで見てきた二つの理論
(1)メルロ=ポンティの言語論
(2)メルロ=ポンティの初期思想における知覚および行動の理論
本章では(2)に基づき、(1)を再度解釈し、潜在的(つまり明示的に書かれてはいない)にある意味論を明らかにしていく。

  • メルロ=ポンティの言語論の進展
    • 初期思想…言語を他者への所作と捉える観点。最後まで一貫した観点である。

(←ちなみに「再晩年」は「最晩年」の誤字。晩年は二度もない!)

    • 中期思想1…ソシュールの影響下、ラングの考察に向かう。ただし、ラング概念はメルロ=ポンティの「創造的に誤読」(p100)することにより、一種の身体活動、それも身体活動の図式的なあり方として理解されている。さらに言えばそれは能力的側面と道具手段的側面を持つ。

(←ここで初期思想である言語所作の観点だけではなく、身体活動、つまりは行動や知覚といったものの見方もあわさってそれを作り上げている、つまり河野さんのこれまでの布石が効いてきている点に注目する必要がある)

    • 中期思想2…これによりパロールやメッセージなどに限られてきた(言語)行為論的性格がラング、コードといったものにまで拡大される。パロール:ラング=個々の行為:身体図式−習慣≠物:その使用。「言語の社会性は物の共有ではなく、身体の使用法の共有」(p178)に基づく。
    • 後期思想…以上より、メルロ=ポンティの意味論の重要な特徴の一つとして「ラングに蓄えられた意味もまた、世界との接触によって与えられると考える。意味の最終的な源泉は指示にある」(p179)ことがわかる。では世界とは何か。それは知覚された世界であり、そこから言語も意味を獲得する。そこで晩年になると言語と知覚の関係を探求し、以下の二点を主張した。
      1. 知覚と言語はともに弁別的体系である。
      2. 知覚も言語も能動性と受動性が転換可能なシステムであること、さらに知覚と言語それ自体のシステムについても転換可能であること(後者は示唆にとどまる)。

(←こう見てくると初期思想の言語所作理論が中期思想の独自なソシュール解釈を生み出し、その結果として後期の知覚、言語論に結びついていったということか。また、後期指示理論は分析哲学吉本隆明にも関係があると考えられないか)