『青色本』(ISBN:4469110167)

僕の中で(正確には僕を取り巻いている「僕たち」の中で)の問題の一つに記号系の問題がある。要するに記号過程を認めてしまった場合、自分の心的過程、主観的判断とかは意味をなさなくなるのではないかという問題なんだけれど(ちなみに僕の立場は結構矛盾なく両立するんじゃないのという立場)。その中でウィトゲンシュタインの『青色本』をパラパラっと読んだんだけど、一度心的過程と呼ばれているものを記号系の中に置き直してみようという考え方で、僕にはとても面白かった。
しかし、この人もミもフタもない書き方をする人だと思った(もう一人はヒューム)。この身も蓋もない書き方をするというのはそれ自体でとても面白いと思う。そしてこの「ミもフタもなさ」は文体によって実現されるそれとはまた違っているような気がする。しかし、この「ミもフタもなさ」それ自体が威力を持つということはありうると思うので(確か山形浩生さんが自身が後に訳すことになる『クルーグマン教授の経済入門』の原書を読んだときの感想が「ミもフタもない」というモノで、ミもフタもないことにもイミはあるんだとか思ったのだった)、ちょっと考えてみたいところではある。