買いだめしてた本の消化

消化不良起こしてますが(当たり前だ)。

互いに参照しあっているところもあり、一緒に読めたのはよかったのかもしれない(互いに邦訳の参照ページが出ていないのには細かく読もうとするとき不便かも)。「アデュー」の方がレヴィナスを一応読んだことがある分、まだわかった(ような気がする)と思う(思いたい)。個人的にはレヴィナスの文章だけでは一回しかいわれてないような気がする「ウイ」に対してデリダはもう一度「ウイ」を差し込もうとしている、そんな感想を持つ。しかしこの本は同時にレヴィナスフッサールハイデガーの考え方に「ウイ」を差し込もうとしているのではないか、僕がレヴィナス(できればバタイユとかも)に一回の「ウイ」しか認めなかったのではないか、そう思わせる本でもある(ただ、二重化することの困難さは二重肯定を読み込むニーチェの読解の際、ドゥルーズデリダが正義、パロディの問題について食い違いを見せているところと関係があるような気がする。何度も書いてる気はするけど。で、デリダは正義について積極的に論じていくことになったわけだけど)。そう言えば、「法権利」という言葉もやたら出てきていて、『法の力』とも関係があるのかなどと考えてみたり。

『死を与える』についてはなぜかブラック・ジャックを思い浮かべてしまった(そんな想像力です、僕の想像力というのは)。超能力者と無頭児の話、文庫版の後書きのある宗教上の理由から輸血なしでの手術の話についての話。あるいは「ちぢむ!」の話。ブラック・ジャックが唯一「死を与え」ているのは最初の一話だけなんだけど。キリコについては今思い浮かんだけど、基本的に感想なし。