のっことりえこ

最近立て続けにNOKKOさんの出ている番組を視聴する(テレビドキュメンタリー/ラジオライブ)。ラジオのほうは弾き語りで「フレンズ」、「人魚」など。ちょっと声変わった?奥井亜紀っぽい声質というか、高音に少しゆらぎ入ってるような。でも、オリジナルの強さは変わらない(フレンズにしろ人魚にしろカバーも結構聞いたけど)し、弾き語りにも合ってた。その曲間のMCで、「『フレンズ』と『lonely butterfly』は子どもに聞かせると、子どもの心を揺さぶるみたい」というようなことを聞いていて、なんかわかる、と思った一方で、なんでわかったんだろうともひっかかっていた(いや、この2曲は僕が個人的に好きな曲というのもあるのだとは思うけれど)。

ところで、NOKKOさんは現在熱海で子育てをしているそうで、その様子がドキュメンタリーでは放送されていた。全然関係ない僕がこんなこと思うのは変かもしれないけど、「あ、お母さんしてる」と思った。

その時に(ラジオ→テレビの順番だったので)、子どもの心を揺さぶる理由がちょっとだけわかったような気がした。それは、母親が見せた「女性」の部分、それもおそらくは父親ではない別の男性との過去(2曲とも決してスムーズな恋愛を歌った曲ではなく、それは子どもにとっては父親以外の男性を暗示する)だからなのかなと思う。これだけだと何かエディプスな話にしかならないけれど、もう少しつっこんで大事なところは、その女性としての過去込みで今、いや自分を生んだ母親がいる、ということをなんのてらいもなく、肯定的に母親が示している、ということがあるのではないか。

そういえば、西原理恵子さんの『毎日母さん』の中でも、西原さんが自分の娘さんにお父さん以外の男の人とつきあったことがあると答えたら、娘さんがとても動揺したというシーンがあったけど、それもそういうことなのかもしれない。たしかNOKKOさんの子どもさんも娘さんだったはずだ。女性だからどう、みたいな話は好きではないけれど、もうちょっと考えてみたいと思った。