ネットで

いろいろ昔の作品を調べたりしているのだが、時々放送コードにひっかかるようなところがあって気になる。
(僕が気になってるのは『買物ブギ』、『チャージマン研!』、外国ではモンティ・パイソンなど)

マンガなんかだったら手塚治虫さんとか藤子(F)不二雄さんとかの全集版ではそのまま載ってたりするけれど、どうなんだろう、著作権とかに見られる人格の扱い方とコードの問題点とかは統一した見解はないのだろうか。著作権、というよりコピーライト、つまりコピーを出せる権利と著作者の人格(だったっけ?)と、こういったコードに関係する扱い方。言葉に関する考え方が定まってないこともあり(例えば、放送コードというか自主規制により、表現方法が変えられてしまうことは容易に予測できる一方、少なくとも表向きにはある言葉は流通させない、とする戦略も理解はできるので)、ここら辺、どうすればよいのかわからないけど、今のように、著者が亡くなれば「当時のなんたらかんたら」と巻末に記載するだけでオッケーなのか、ある時点を持ってこの表現方法に問題があるとされた場合、そこに誰が、どう対応するのかとういうことについては、人格、著作権との問題も含めて立ち上がってくるような気もする。