哲学はなんの役に立つのか、あるいは締め切りに間に合わなかった話

もう一つ友人から聞いた話より。僕の友人は研究者の卵であり(というか卵率相当高い)、奨学生(といっていいのかな?)としてがんばっているわけだけれども(この奨学生率も高い。みんな優秀(過ぎ)だと思うと同時に、自分が就職したのはある意味間違いなかったのかもしれないとか思う)、話をしていると最先端は最先端なりに大変なのだということがわかった。最先端過ぎるとなかなか接点が見つけられないものらしい。
だけれど僕はそれは健全だとも思う。わかっていることであればやらなくて良い訳だし、ある程度わかりやすく「知らせる」ことは大事だけれど「知る」「考える」ことはある一定の水準を得た人でないとできないわけだし(僕にやれと言われても困る)。だからそこに標題の問いを掲げることは―否、掲げてもいいけど完璧な答えを要求することは―ちょっと気が早いのだと思う。
ただ、僕自身の話でいえば「どう自分の役に立ったか」という形でしか答えられないし、それをどう役立つ形にしていくかということになるとそれは個人の話と全体の話とをつなげる話になるわけで(最近フッサールの『幾何学の起源』『自然の空間性の現象学的起源に関する基礎研究―コペルニクス説の転覆―』を読んだせいか、自分と自分含めた全体との絡みをどう考えるかということばかり頭に浮かぶ)難しい。ただ、「役に立った」ことを僕なりの語彙でその友人たちに伝えることはできる(これは別のときの話になるが「可塑性」をちゃんと読めていないことが露見してしまったりしたのだけれど)。その意味で僕の出来ることは少しだけどその少し具合はまあそんなに悲観していなかったりする。id:lovelovedogさんがここを見てくれているみたいなんだけれど(ありがとうございます)、そこに「少し哲学」と書かれているのはさすがだと思った(どういう意図があるのかは存じませんが。ただ、僕の場合サナギさん並に思考がインドア派なので、id:lovelovedogさんがちゃんと調べて書いている(つまりはちゃんと組み立てている)ことは単純にスゲーなと思っています)。