『現象学とは何か』新田義弘、講談社学術文庫、1992。asin:4061590359

未完読なままなのもどうかと思ったので。というよりも、これ面白いです。『フッサール哲学における発生の問題』asin:4622073528よりもコンパクトにまとまっているし。コンパクトというのは、一つには対象にしている文献が後期作品および草稿を中心に絞っているというのがあるけど、もう一つは分析を緻密に行うことでよりフッサール内部の「弁証法」、さらに言えばその弁証法の発生まで視野に入れた論文となっているところが大きい。そのためか、同じテーマとしてみた場合、新田さんのほうが『発生』論文より優れていると思った。もっとも、『発生』論文のほうはフッサールの全著作を「スキャン」(まえがきより)している功績は大きいし、著作としても、著者自身の年齢としてもおよそ10年の開きがあることを考えればその差にやむをえないところはあるだろうと思う。それにしても「弁証法」もそうだが、時間把握の大切さ(特にフッサールの場合は『内的時間意識の現象学講義』asin:4622019221および『生き生きした現在』asin:4938427923という時間そのものについての文章のほかに『受動的綜合の分析』asin:4772004475においての予持-経験(?)-把持関係に見られるように強い結びつきがあることが伺われる)についての指摘、世界についての考察など、この2冊を続けて読めたことはよかったと思う。
しかしなぜこの時期現象学関係読んでしまうのだろう。日記を読み返すと一年前もそんな感じだったようだし。何年か前は西田幾多郎デカルト論を春先にいつも読んでたけど、何の関係があるのだろうか。