ヘーゲル『精神現象学』牧野紀之訳、未知谷、2001。ISBN:489642039X。

序言をちょっと読んでいる。発展していくことへの楽観主義というか積極性がヘーゲルを傲慢に見せたり、あるいはオトナとしての哲学者に見せたりするのだろう。

訳す上での補足が多く論理的に意味を取りやすいが、だからこそ補足抜きで一度読んだ上で補足入りの文章を読む(2回読むわけだからちょっとはわかるようになるし)。

一方、戦前戦後あたり?のフランスでなぜヘーゲルが読まれたのかについてもちょっと思ったのは、ある意味で用語の使い方が独特だけど似通っているからだということ。wissenschaft(=science)をかなり広い意味で使っている(訳さざるをえない)ような気がする。また、概念を重視するその哲学はある意味で(直観重視だと思われがちではあるが)フランス哲学の一側面をあらわしているようにも思える。僕の友人にまさにフランスにおける「概念の哲学」を研究している人がいるが、主張せんとすることはとても似通っているように思う。しかし一方で主体についての考察も行っており、それは一方ではヘーゲルは絶対知に到達しており、世界精神だと言っているのか、それとももっと厳密に概念の発展およびその主体への影響(その場合の主体とは何だろうと言うことも含めて)を論じているのか、二つの顔をのぞかせている。

訳者によれば序文の序文からしてひねくれており(shinenについての某訳者についての批判。『ニーチェ』講義で、もちろん別の文脈ながらがハイデガーが同じような指摘をしていたけど、僕的には他の訳者もそう訳しているのにそこまで言わなくとも…というのが正直な印象)、ヘーゲルは厳密に含みを持たせていて面白いと感じる。だから序文だけの訳もまた多いのだろう。