遺稿というものについてのメモ

小泉義之さんの『病いの哲学』を読みながら考える。遺稿というものは、遺したものという意味でその人の死を意味する。その人の病いを「なかったことにし」、生きているときの声がそこにあるかのような響きを持つものではないか。この意味において死後出版を行ったベルクソンフーコーと遺稿がないがごときのデリダの方向は「死人に口なし」というコインの裏表ではないか(ただし、死後出版の禁止は遺言によって担保されているということを忘れてはならない)。