フロイト『自我論集』中山元訳、ちくま学芸文庫、1996。ISBN:4480082492。

読み終わった。『精神分析入門』と内容の重複は少なかったので、飽きずに読めた。

ちなみに「自我論集」の名の下に編集されたこの本だけど「マゾヒズムとは何か?」に変えてもよかったんじゃないかと思えるくらい、フロイトにとってマゾヒズムの問題はつきまとったことがわかる。もちろんトラウマの問題もあるんだけれど、結局「なぜ人はすすんで苦痛を求めるのか」ということについての試行錯誤が垣間見える。確かトラウマの研究(というより治療)がすすんだのはアメリカのベトナム戦争とか以降だったと思うけれど(学生時代のころ概論で習った)、幼児のトラウマ等も含め、そういったものをプラグマティックに特化したあたりから何かフロイトから離れてきているのかという印象を持った(フロイトはそれを兼ね備えた自我モデルの構築、本人いわく「思弁」に至った点が相違点だと思う)。ただし、それはフロイト自身が準備したものでもある。全集はロンドン(つまり英語圏)で出版されたわけだし。

マゾヒズムに対する異議申し立て文書として「1947年11月28日−いかにして器官なき身体を獲得するか」、ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著『千のプラトー宇野邦一他訳、河出書房新社、1994所収を読む(該当箇所訳者は宇野)。

たしかにこっちのほうが一貫していて、実際思い当たる印象もある。けれど、それはフロイトの「カッコ悪さ」に立脚した一貫性、カッコ良さであるような気もする。

そう言えば『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記――1930-1932/1936-1937』ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン著、イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界彰夫訳、講談社、2005のあとがきだったか解説だったかにウィトゲンシュタインが留保をつけながらもフロイトを評価していたことが書かれてあったけど、『自我論集』内所収の「否定」やウィトゲンシュタインが「この部屋にカバはいない」ということが確かめられるかラッセルと議論した、なんて逸話とを比較してみるとなんとなくわかるような気がした。たしか『ウィトゲンシュタイン精神分析』という本も出ていたと思う。

とまあこういうことをいろいろ考えながら読んだわけ。同じ訳者、出版社から出たいわば二巻目の『エロス論集』を読んでみようと思う。何とか年度内には別の本読めそうかな。