感想

『ニコマコス倫理学』は面白かった。『形而上学』でも思ったが、あくまで論理学的な部分、個別撃破的な論の進め方にこだわっていると感じた。確かに、たまに木を見て森を見ずというか、あまりに変な個別事例を持ち出してくることもあるけれど、それを悪く言うのは違うような気がする。むしろその個別事例があるからこそ、事実に即した議論が出来るようになっていることを忘れるべきではないだろうと思う。かつて『心脳問題』で山本貴光さんと吉田浩満さんは養老孟司さんの『バカの壁』を引きながら、他人を見ることでしか観察できない(他人の)「バカの壁」はややもすると自分の「バカの壁」を築き上げることにしかならないという「バカの壁のブーメラン効果」という考えを提出している(ただし、養老さんの狙いはそのブーメラン効果をありとあらゆるところに起こさせ、それぞれのバカの壁を取り崩すことを目論んだものではないか、とは書いている)。また、内田樹さんは『ためらいの倫理学』の中で「バカだ主義」というよく似た考えを書いている。アリストテレスは自分のカッコ悪さを厭わず、そのブーメラン効果を論じきった人物なのではないだろうかと思う。そしてそれは自分が存在しているということを自覚する存在、環境世界の中で生きる存在という「存在(のブーメラン)論」を論じたハイデガーにつながっていく…!?僕自身がブーメランを感じたのはハイデガーだったので(2年前、掲示板でその言葉を使っていた)、最後は無理やりこじつけちゃったけど、ハイデガーアリストテレスをよく読んでいたこともまた事実なので、まあ100%の妄想ではない(99%ではあるかもしれないけど)と信じたい。