あることないこと

ないことはあることをもとにしてしか考えられない、そういったのはベルクソンだったっけ。しかし、だとすると、なくすることそのものが過剰なことなのかもしれない。「私はあるすらも抹消する」(「ラ・ディフェランス」)というフレーズが妙に頭に残っている。それはあることがもつ過剰ともちょっと違う。あることはどれだけなくしても何かのかたちである。なくすることはなくする操作であり、それ自身が一つの過剰なのだけれど、それはあることの過剰さ、決して消えない過剰さではない。それはそもそもないのだから。なくする操作、それがそもそも余計なのであって、ないということはないのだからそれは過剰ではない。しかし、そのなくする操作の過剰さは他のあることの過剰さになるということがある、のかもしれない。何かこんがらがってきちゃったけど、あることとないこと、あろうとさせることとなくさせることとの関係はときどき気になる。前にもどこかで書いたことがあるけれど、それは結局どの分け方も突き詰めていくと「アリかナシか」ということで言えてしまうんじゃないかということ、そして僕はどんなものであれ(空想上のものであれそれは空想上のものとしてあるとすれば)あるものしか考えられないんじゃないかということがずっと頭の中であるからかもしれない。