とはいえ

知られてしまったので、あわてて更新してみたり。

仲正昌樹さんのインタビュー。何か違和感を感じるんだけど、それは違和感を表明している文章であるこの文章に違和感の表明が足りないからなのかもしれない。どういうことかというと、違和感を表明するときは「こちらが間違っているかもしれない」という違和感(それは立場ではなく違和というか、距離から語るものなのかもしれない)が必要だと僕は思っているからだ。

例えば後半の「簡単にいうと、哲学、つまり純粋に理論的なレベルでは脱構築的な発想をして、それを応用する時には、プラグマティックにやるしかない。」という言葉なんかは『脱構築プラグマティズム』を読んでたりしたらなかなかいえないことなんじゃないかなと思うわけだ。もちろん、僕自身この考え方に近いし、その言葉を使っている人に<義理立て>する必要はないと思うけれど、やっぱりちょっと立ち止まっちゃうよね、というような感じがどうしてもしてしまう。自分もそう思っているからこそ感じてしまう違和感っていうのがあるんじゃないだろうか。というか、やっぱり政治は難しいな。一番ひきつけやすいだろうけど、一番最後まで考えてしまう問題だ(←これ、さっきの話ふまえてます>私信)。