石の存在

岡本太郎『美の呪力』(新潮文庫)を読む。石の世界が貧しいと言ったハイデガーに対して圧倒的な石の存在感。「存在は与えられている」という言葉をジェイムズから読んで以来ずっとひっかかっていたことだけれど、存在は「誰(何)から誰(何)に」与えられているのか、そしてそのことから何が言えるのか、ということが。

ハイデガーの考え方に何か言うことがあるとすれば、存在の受信機であるほうに注意をむけて、存在の発信機であるほうに注意を向けなかったことにあるのではないか(もちろん、そういう見方ができるようになった功績はハイデガーに帰せられるべきではあるが)。レヴィナスの他者、デリダエクリチュールはそういう方面への注意として読み取るべきで、他者、エクリチュールそのものだけを読むべきではないのかもしれない。

受信機としての石(それは人の意志としてもそうだろう)があまりに強すぎると発信機としての石の存在を忘れてしまうものなのかもしれない。