パンチが(止まら)ない

モンティ・パイソンネタ2つめ。
そもそも僕の中にモンティ・パイソンを観なければいけないという強迫的な観念が生まれたのは『発熱!猿人ショー』とDCPRGが何らかの形でモンティ・パイソンにつながっていたことにある(まあそのつながりを見つけたのは自分なわけで、そう考えると強迫観念が先か後かという問題が出てくるわけだけど、それについてはおいておく)。DCPRG主幹の菊地成孔さんについてついこの間『ユリイカ』で特集を組んでいたけど、モンティ・パイソン的な方向からのアプローチは少なかった(それはある意味正しい。全体的な評価をしなければならないから)。ただし、僕のような一点集中全面展開(しかしそれは「靴下の穴が見える」(東浩紀)統合失調状態ではないか)型からすればちょっとモンティ・パイソンにも触れてくれよ、とも思っていた。
ところで、モンティ・パイソンのスケッチの特徴として、オチのなさを一般的には挙げることができる(今試しに「モンティ・パイソン オチ」で検索してみたらそういう紹介がほとんどだった)。しかし僕はあえてオチ(英語ではパンチって言うんですね)にこだわりたいと思う。例えば、先述した三ツ星レストランスケッチ。これはわざと凡庸なオチを使って(だからわざわざ字幕で「次がオチですよ」と紹介している)の後で、スケッチを紹介していた司会者がスケッチの登場人物に鶏で殴られ(パンチされる?)、それを甲冑騎士に渡すというオチを持ってきている(甲冑騎士は無理やりオチをつけようとするときに鶏でツッコミをする役どころ)。さて、これはオチを廃したと言えるのだろうか?確かに従来のオチをつけようとする態度すら笑い飛ばすと言う意味でこれはオチをなくした、とも解釈できる。だけれども、そのためにオチを使ったことも確かなわけで、正確に言うとオチがないのではなく、オチが止まらないといったほうが正確なのではないだろうか。そして菊地成孔さんがモンティ・パイソンから受けたのはオチのなさというよりはパンチの止まらなさなのではないだろうか。それはまさにDCPRGにおいてCDJでスクラッチというパンチを入れ、人を踊らせ、また某論争において「キー<パンチ>が止まらなくなった」(『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』、p297、<>は僕による強調。ただし菊地さんが唯一見逃していたのはネットで2ちゃんねるに転載する人の力とインターネットアーカイヴという機械の力だ。僕はそれによりここでの論争を多少は読むことが出来たのだから)菊地さんとモンティ・パイソンの関係ではないかと思ったりする。


追記:…そう言えば、『発熱!猿人ショー』のアイキャッチの中に、山内圭哉さんが川下大洋さんを無数のパンチで殴る、ってものがあった。さらにいくつかの心当たりがでてきたが、それはもう自己分析の範疇なのでここで終わり。