モンティ・パイソンと女性

週末は風邪を引いていたので『空飛ぶモンティ・パイソン』を見返す。第2シリーズも結構面白いことに気づく。何回か見直さないとわからないところもあるにはあるけれど。
ところで、モンティ・パイソン(ここでは『空飛ぶ〜』限定の作品を指す)と女性との相性というものはどうなのだろうか。喰始さんはどこかで、差別と思われることを覚悟の上で、女性がお笑いを判断するようになってから、モンティ・パイソンのような笑いは理解されにくくなったと書いていたと思う。たしかにこの言い分には一理あって、キャラクターで一度売れてしまえば仕掛けに気を配らないといったところが(女性の笑いへの参加がその原因であるかどうかは別として)あるにはあるように思える。
一方、あえて女性出演者のみにしぼったモンティ・パイソン風映像作品『バミリオン・プレジャー・ナイト』というものもある(今回バミリオン本を実家から持って帰って見てたけど、こちらも一つのコンテンツ単位が「スケッチ」というのをはじめて知った)。今モンティ・パイソンを観てて思うのは『バミリオン・プレジャー・ナイト』にはある種の緊張感が付け加わっているような気がする、ということだ。それは笑いの仕掛けがキャラクターによって仕掛けられている、先の言い方に従えば仕掛けとキャラクターが両立しているところがあるように思う。キャラクターのみの仕掛けが緊張感(というかはっきりいえば狂気の片鱗)を見せるのはある意味モンティ・パイソンが示唆していたことでもある(エリック・アイドル私見では非常にこの線に近い。三ツ星レストランスケッチや、ナッジナッジスケッチ)。少なくとも僕が何を女性的だと考えているか、そしてそれとモンティ・パイソンとはどういった関係にあるのかということは、喰始さんと『バミリオン・プレジャー・ナイト』の両方によってちょっとだけわかったような気がする。