ジャック・デリダ「真理の配達人」清水正豊崎光一訳、『現代思想』、1982年2月号所収。
プラトンティマイオス種山恭子訳、プラトン全集12。

前者は本当に難しい。大体ラカン(のエクリ)がわからないのだからどうすればよいのやら。でもあえてラカンのポー読解には意図的に切り捨てている部分があるということ、そしてその切り捨てている部分こそがラカンのポー読解を成り立たせている(つまり、その部分はその読解を揺るがしてしまうものでもあるのだ)ということはわかった。

後者はひさびさにみた、「言葉で全世界の理(ことわり)を説明できるんだ」という意欲作。哲学の作品にはやっぱりこういうのも必要だと思う。受容体の議論ってそんなに重要なものだったかと言われると疑問だったけど。