眠いから駆け足で

内田樹さんの新刊。黄石公の話とか、エクリ冒頭の話とかの話は『他者と死者』にもでてきてたけど、今回はそれをもう少し噛み砕いて書いているような感じ。僕の座右の銘に「自分以外は皆師」という言葉があるけれど、まだこの言葉が真にわかっているとは自分には思えない。他者と師の両方(それはレヴィナスラカンを読んだ『他者と死者』の著者ならではの)を論じることでそれは見えてくるのか。

全然関係ないけど、冨田恭彦さんの『観念論ってなに?』と同じく、先生と学生の対話編、そして学生が男女ペアで最後にくっつくそぶりを見せるという構成になっているのはなぜ?こういう話の構造みたいなのはあるんだろうか?

繰り返しが続くと人はそこにどうしても意味を求める。二度続く偶然はないといったのはゴルゴ13だったっけか。この2冊を見て思ったのはそのことだけなのかもしれない。